今日自分が生きている1日は、誰かが生きたかった1日かもしれない

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どうもフリーランスで活動しているうっつーです。

あまりポジティブな話ではないのですが最近思ったことでも・・・

よろしければお付き合いください。

人間の命って儚い

ついこの前まで元気だったのに亡くなってしまったという話を最近よく聞きます。

しかも本当に身近な人、お世話になった人で。

「生まれた」からにはいつかは「死んでしまう」という避けることのできない終わりがあるのは当然のことだと思いながらも、やっぱり悲しい事ですよね。

その時にふと思ってしまったのは「明日は我が身かもしれない」という事です。

元気だった人が亡くなるというのはよく考えりゃ他人事じゃないんだなぁと。突然の体調の変化で亡くなる方もいれば、不慮の事故で無くなる方もいます。

私の好きなあの伝説的なトランぺッターのビル・チェイスも飛行機事故で亡くなっています。

だからいつ自分がどこで終わりを迎えるのかなんてわからないんだなぁと。

まあ考えたって仕方ないんだけどね。

今を全力で楽しんで生きようと思った

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結局こんなことが続いて色々考えてたどり着いたのは

今日生きている時間や1日って誰かが生きたかった時間や1日なんだから

全力で楽しんで生きるべきなんじゃないかなぁと

もともと嫌なことをする・嫌な人に合わせる必要もないし、自分の生きたいように生きればいいのに、それを否定するような風潮を大人になってからものすごく感じるんですよね。

「嫌な事でも受け入れないと大人になれない!」「自分勝手!」みたいな

そしてその中でドツボにハマって悩む人が出てくるんだけど

・・・なんだかね(笑)

もし嫌な環境で生きているなら、そんな環境から離れて今を全力に楽しんで生きる事、これが重要なんじゃないかなと思いました。

ワガママってネガティヴなワードだけど

いつ自分が終わってしまうのかわからないし

ワガママに生きたって、自分に忠実に生きたっていいんじゃないですかね?

という私の思ったことでした!

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